最狂最悪最愚を望む者の旅路

聖なるものへの憧憬、渇望

俗世間に同化したくないという人の為に寄せる文

今という世は目立ちたがり屋の大衆ばかりである。未だにテレビという時代遅れのメディアに出たがる人が後を絶たないし、見ている人も多い。このように毒づいている私の口調から分かると思うが、私はテレビは嫌いなのでなるべく見ないようにしている。私はあのテレビというものを「洗脳装置」という風に認識している。

 

 

私は元々は普通にテレビを見ていた。主にお笑い番組、ドラマ、歌番組(昭和関連)を見ていたのだがバラエティー番組、という類のものが昔から好きではなかった。ああいう番組は程度の低い事ばかりしゃべっては相手の揚げ足取りにいそしむ。それで狂ったようにゲラゲラと笑い続ける。その繰り返し。これがこの類の番組の基本構造となる。こう言った番組を見た後、なぜか虚しくなる自分がそこにいるのに気付いた。そして、オタク趣味に関心を持つようになると、テレビ自体に距離を置くようになる。今は深夜アニメ以外は見ない。もっとも私はテレビ番組の内容をどうこう言いたい訳ではない。

 

テレビの本質はそこにはない。あの装置はCMを流すことによって視聴者にスポンサーの商品を買わせるのが目的だ。それは番組の中でも巧妙に、さりげなく「宣伝」しているのだ。よく観察していないと分からないようになっているのだ。こういうのを見ていたらいつの間にかワイドショーのコメンテーターや、テレビ・タレントみたいに浅薄でありきたりな意見を口にし、ゲラゲラ笑っている事に気づくだろう。そういった「中身のない」人になりたくないならテレビを見るのは避けた方が良い。

 

次はSNSだ。ツイッターにしろ、インスタグラムにしろ、フェイスブックにしろ相手とつながるのが用途であり目的となっている。ネットで仲良くしている分にはいいが、それは同時に他人に縛られている事と同義だ。それは私の経験からして言えることなのだ。結局空気を読んで言いたいことも言えず、馴れ合う関係をずっと維持する事になる。こういうSNSをやっている人って巷で言われているように承認欲求が強い。それは今の時代は孤独の人で溢れているからだ。言い換えれば今は孤独の時代なのだ。かくいう私も孤独である。まあ、私の場合自分はこういう運命なのだと悟ったのでむしろ、孤独で居続けた(一時期何を血迷ったのかネットで友達(ネットで知り合った)と交流した時期があった)。ところが世の人々は私とは逆の方向に向かってしまっている。孤独、一人でいる事を恐れ、何が何でも友達を作ろうと死に物狂いになっている。こういった人達を見て思う。孤独で良かったと。世間は何かと「家族愛」、「絆」を美談として目に涙を浮かべながら語っているが、その裏では「虐待」、「孤立」があるのは事実だ。どちらか一方を強調し、一方を無視するのは欺瞞だ。

 

俗世間というのは多数派という名の群れでいつも行動する。見た目も立ち居振る舞いも話し方も服装も趣味嗜好も自分の考えすらも他人と同じになる。「流行」も「常識」も関係ない。みんなが見ているもの、読んでいる本、行く所、食べる物といろいろあるがとにかくみんなが進んでいる方向には絶対行かないことだ。とはいっても私もいつでも少数派という訳でもない。結果的に私の進む方向に他の人達もついてくる時もある。そういうのはなるべく避けねばならないと私自身実感している。

 

孤独でも迷わずこの世を歩んでいくには本を読むことで学ぶ事も大事だが、自分で考える事も必要だ。

真実は俗世間より最も遠い場所に位置する。

私は俗世間に白い目で見られたり、嫌われたりしている人を愛する。

俗世間に嫌気が差したり、愛想が尽きた人、その人は私の仲間だ。